団栗村の住職さんの説法コーナー
このページへお越しの檀家の皆さん、説法コーナーへようこそ。とは言っても何もお説教しようなどとはこれっぽっちも思ってはいません。
ここは私の何でも書き込もうと言うものです。ですから皆さんと楽しく見て、聞いて、思って色んな事柄を掲載していくつもりです。宜しくおつき合い下さい。
まず今回は、拙僧の節操のない女性・・・・・じゃない、バイク遍歴をお伝え致します。
17才からバイクに目覚め今思うと良く乗ったなぁ〜と思います。ま、どんなんか見てください。

団栗村の住職さんの車歴二輪車編

ヤマハAX125とヤマハDX250PRO
車歴
スズキAC50スクランブラー〜ホンダCB175〜ヤマハAT125〜ヤマハAX125〜ヤマハDX250プロ〜カワサキW1S650〜カワサキW1SA650〜カワサキZ750ツインサイドカー〜ヤマハXS650SP〜ホンダCB650カスタム〜ホンダシャドウ750
以上が私の所有してきたバイクたちです。原付免許を取得したのは17歳の時。先輩のダックス50に自転車で付いて魚釣りに行っていたら途中で待つのは面倒だ・・・・との、言葉で渋々取得。そう、当時はバイクは走る狼走る凶器と思ってましたから「イヤイヤ」でしたね。
それがこのありさまですから人間と言う動物はしょうがないものです。AC50は、もっぱら木曽川や揖斐長良川への釣り用バイクでした。ところで皆さん、名四国道の木曽川と揖斐長良川の赤い橋の間に料金所があったの御存知ですか。長島温泉へ左折する箇所が広いでしょ、あそこにあったんですよ。当時、原付は50円だったと記憶してますが・・・。CB175は、お客さんから譲って貰った物。交番で小型免許で乗れるか・・と聞いたら乗れるちゅうもんだから知るまで二ヶ月間無免許で乗ってました恥ずかしい。
AT125は当時舗装路の無かった土古、港北町管内の砂利道にハンドルを取られて近所の住宅のゴミ箱に突っ込んで短期間で手放し、AX125に乗り換え。このバイクで夜行伊良湖岬釣りツーリングと初の伊良湖岬三ヶ根山一泊決行。
この時、寮に遊びに来た先輩のW1Sが二階の窓をビリビリと振動させて豪快に格好良く走り去って行くのを見た途端にバイクの虜になった訳です。もっと余裕で走りたいとDX250、これは良く走りましたね。加速は良いし疲れない。紀伊半島一周、能登半島一周等に使用。そして憧れのW1Sを中古で購入。どっしりした乗り味、豪快な排気音、これで行った四国や富士五湖巡りは楽しかった。でも、雨が降るとカックンか滑るブレーキと何度修理しても漏れるオイルにW1SAも所有するも手放す。

カワサキW1S-650紀伊半島橋杭岩にて カワサキZ750Tサイドカー ヤマハXS650SP中津川にて ホンダCB650カスタム野麦峠お助け小屋
◆1974年、20歳の時に紀伊半
島の橋杭岩にて、オイルが漏
れて・・・・。
◆1978年、24歳の時に奈良・
京都一泊ツーリングへ。
◆1980年、26歳の時に木曽福
島町の途中で。
◆1996年、42歳の時に乗鞍
奈川村一泊へ。
ホンダシャドウ750 W二台からZ750Tに豊川のショップでサイドカーを取り付ける。Wと同じく四年間所有。上高地キャンプの輸送車両として活躍もエンジントラブルにて惜しみつつ手放す。
続いてCB650Cを豊川の営業所より展示車お蔵入りを16年間愛用するも電気系統やエンジントラブルで廃車。パワーは無かったが滑るように走り乗りやすかった。信州方面へのツーリングに大活躍。
1999年9月に購入したホンダシャドウ750は8万qを越えた2020年1月に電気系統トラブルと各種部品入荷不安にて惜しくも手放した。鼓動感のある乗っていて面白いバイクだった。
◆ホンダ
シャドウ750。白馬キャン
プにて。

ホンダCTX1300とともに
2014年式ホンダCTX1300が現在の新しい相棒だ。2020年1月27日に購入、詳しくは愛車通信ホンダCTX1300でご覧下さい。

カワサキZ750ツインサイドカーの記録

地蔵峠にてサイドカーを取り付ける前 奈川渡ダムにて雨で汚れたサイドカー

1976年に購入し、1977年の3月にサイドカーを装着。きっかけは大治町のS氏のメグロサイドカーに魅了されたのだが、現在豊川市にある「サイドカーショップー東海」が開業する前にZツインに乗っているのを部員から伝え聞いたショップオーナーから「3000回転で6Kのトルクを出すバイクに是非装着させて欲しい」との電話を受け、了解する。
今までの国産車には無かった低回転での巨大なトルク。そのトルクのお陰でサイドカーを装着してもフロントをアップする程の力強い走りを実現したZツイン。丸四年間の所有だったが、私のバイクライフを語る中では無くてはならないバイクであった。

巨大なトルクで乗りやすかった 1976年三月に発売されたビックツインモデル。バランサー機構を装備した360度クランクのDOHCエンジンは、低中速域で図太いトルクを発生。低いシート高と相まって、乗りやすく個性的な味を持ったナナハンであった。
全長2.150 幅855 全高1.195 車軸1.445(各mm)
車重218kg 空冷4サイクル2気筒(DOHC)745cc 
ボア・ストローク78.0×78.0mm 圧縮比8.5 最高出力55.0ps/7.000rpm 最大トルク6.00kgm/3.000rpm
始動セル・キック 前進5段リターン サスペンション前テレスコピック 後スイングアーム タイヤ寸法前3.25-19後4.00-18 現金価格45万円
(注)以上、1987臨時増刊8 八重洲出版創立30周年記念企画 モーターサイクリスト国産モーターサイクル戦後史より
カワサキZ750Tサイドカー 1977年4月、滋賀県比叡山へ定例ツーリング。
3月終わりに装着し一週間練習した後に使用。登りは簡単だが、側車での下りコーナーは非常に恐怖を覚えた。若かったんだねぇ、無茶だわ。
カーのダッシュボード 1977年7月。上高地へ運搬車両として活躍。安房峠の左下りで深い穴を避け、対向車とぶつかりそうになり右へ方向転換するもガードレールに接触。
メーター周り破損。この時、カーのリアフレームにも損傷があったのを後日分かる。
キャンプで積載も楽 1978年正月、カーのスクリーンを大型化して和歌山県加太で開催された第3回エレファントラリーに参加。
カーの積載能力は凄く、野営道具や防寒着類も豊富に持って行けた。東海製のカーは仕上げは別にしても乗りやすくコントロールしやすいものであろう。装着当時より本車のリアサスはススズGT750の物に交換。
カウリング取り付け 1978年12月に装着した白いカウルで1979年正月の名古屋ハーレー会のツーリングに参加。目立つサイドカーもハーレーには勝てない。
おかまを掘った後 黒に塗装する 1979年、和歌山へのツーリングで車の後部に接触しキズを直すと同時に色を黒にする。やはりサイドカーは黒が良く似合うのではないだろうか。
カウルは自分で塗装する。写真は四月、一泊で丹後半島へ行った時のもの。後ろに見えるのは屏風岩。このカーの姿が良い雰囲気だと思っている。

京都嵐山にてカーのスクリーンを手直し
カーの風防(矢印部分)変更する。この頃よりエンジンのパワーが落ち、燃費も悪くなって来た。1980年京都嵐山にて。

サイドカーで最後のツーリング 1980年四月一泊での伊豆半島ツーリングがZツインサイドカーの最後の旅となった。
とうとうエンジンのパワーが極端に落ち、オーバーホールと車検が重なり手放す事になってしまった。

76年四月に購入依頼、私とともに旅をしてくれたサイドカーも80年四月で手放してしまった。丸四年間所有し走行距離4万km。
当初は怖い乗り物と思ったが、慣れるとこれ程安全な乗り物はない事が分かる。やっと自由自在にドライビングができるようになったのに残念。でも、このサイドカーとの出会いが私にバイクライフの楽しさを満喫させ教えてくれたのは間違いではない。渋滞等ではソロの皆さんに迷惑を掛けてしまったが、機会があれば再度所有して見たい。そんな夢を描いても良いだろう。

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